Jun. 02-04 2006
2006 BAJA500 203X 大室・工藤組

2003年11月バハ1000を終えた。燃え尽きたような感覚・・・・・・・
2004年 普通の生活に物足りなさを覚え始める・・・・・・
2005年1月バハ500に出場する決意をする・・・・・
しかし仕事都合で断念・・・・・
でもやはり、行きたいのである!バハカリフォルニア・・・・
2006年1月、工藤君、決意がつく。メカの斉藤もOKになる。
2006年5月下旬〜、私は2年半ぶりにバハのレースに挑戦することになりました。
今回で4回目のバハ・・・病の完治を願うばかりです。
1日目:LAXに到着、石井さんと合流し、レンタ・バン(12人乗り)を駆り、早々にMSへマシン購入の手続きに。
今回は初の新車購入です。マシンはヤマハWR250F!相方の工藤君と吟味の上決定しました。洗濯理由は、@工藤君が初バハであり無理のないバイクである。A比較的に入手し易い。B良さそう!C新車が欲しい!そして次回のレースにも使う。などなど
WRは約$6100で購入。204Xの及川チームも購入のため、予想より安めに購入できました。
マシンをVanに載せ、吉野家で久々の“ビーフボール”を食べて、石井さんのリバーサイド倉庫でマシン整備。
メカの斉藤にいろいろいじってもらい、どうにかカタチになりました。204X及川チームはステダン付きのチタンマフラーでうらやましいです。マフラーの違いなのか、203X号と比較すると、ほぼ同じキャブセッティングながら204X号のほうが吹けが良いような?
その日はモーテル6に宿泊。
2日目:は午前中に軽く整備をし、エンセナダへ移動です。フリーウェイを南下、途中、サンデイエゴで昼食。夕方前には2年ぶりのエンセナダに到着です。少し、都会になったような感じです。陽が落ち始めると危険な香りがする街です。この雰囲気は安全な日本では味わえない雰囲気です。皆でタコスを食し、スーパー・ギガンテで水やら食料をゲットしてホテルに戻った。明日のプレランに備えて、早々に就寝。時差ボケの影響か熟睡でした。
3日目:ついに、プリラン開始です。ん!!!!久々のBAJAです。高鳴る気持ちを抑えて走らなければいけません。KEEP右!なのです。スタート、コンベンションセンター前から、プレランスタートです。唐沢さん・及川さん・福村さん・工藤君・大室で、国道3のK12地点へ走行開始です。スタートしてすぐの通称河川敷はまだ、トラップもなく走り易いです。途中小さな村を抜けて、K12へ出ます。ここまでは日本の林道と大差はありません。しかし、この村こそ、本番のレースで203Xを苦しめることになります。そんなことは知らずに新車のWRの鼓動を確かめながらK12へ。ここからは公道を少し走り、再びダートになりオーフォスネグロスへ。途中、山岳ダートの中なぜか、関所があり、お金大好きメキシカンに2ドルを徴収されました。オーフォスの農園周りのフラットダートは最高です。5速では物足りません。オーフォスでサポート隊と合流し、サンタカタリナへ移動です。この区間はサポート隊と合流できないので、ガソリンタンクを背負って走ります。5キロくらいあったような。強制ギブスをしているようです。オーフォスからのダートはさらに、BAJAらしく、変化に富んでいて楽しいです。途中、ミスコースしそうな分岐もありましたが、唐沢さんが冷静にチェックをしていきます。ベテランは違います。唐沢さんはツーリングペースとのことですが、速すぎです。途中で荷物のガソリンをタンクに移し、身軽になった体でBAJAの大地を堪能していきます。サンタカタリナ前後の白砂のダートはBAJAらしい路面で最高です。サンタカタリナ(R140.24)でサポート隊と合流。オーフォスを出てから、休憩しながら走ったとはいえ、4時間もかかってしまいました。距離のわりには、クネクネしていて、タイムが稼げない区間です。ここで、203X号を工藤君にも慣れてもらうために、久保田さん号(02WR)と交代です。サンタカタリナから、国道3の通称レストランまでは、白砂な走りやすい路面とフープスが続きます。レストランで少し、サポート隊と休憩し、ライダーの福村さん・高相さん・工藤君・私は一足早く、マイクススカイランチへ、、、、。ここからが、大事件に!
レストランから通称マイクスロード入り口まで国道3を12キロほど移動します。入り口からはフラットダートが続きます。ここで、何故か工藤君が全開で1番手を走り始めました。いままでのプリランで体もほぐれて、DtoGでも見ていたマイクスですから、気持ちはわからなくもないです。私もマイクスの上りは大好きです。工藤君は、本当に全開です。追いつきません。あんなに早かったけ?なんて考えながら、アクセルを開けます。左通行は危ないよ!?入り口から5分ほど、全開で走ったでしょうか?緩やかな、左コーナーを通過しようとした時、目の前が砂煙に覆われました。そこには、地元民と思われる、フォードのピックアップに衝突した、工藤君の姿がありました。私はバイクを捨て、工藤君の元に向かいました。
「ウゥーーー」と声にならない声で彼は苦しんでます。車のメキヤンは一度、車外へ出てきましたが、私と眼が合うなり、なんと、車に戻り、車を走らせたのです。私には一瞬なにが起きたのかが理解できませんでした。しかし、工藤君の上半身が車の下にあり、轢かれるてることは事実でした。メキヤンは明らかにひき逃げです。高相さん・福村さんもすぐに、助けに入り、工藤君を道隅へ。息はありますが、全身が痛いようで動けません。ヘルメットバイザーは粉砕し、チンガード付近にはクラック・ブレストガードも変形し、切れたジャージからは出血が見られる。とにかく、息・意識はある。神様助けてくれ!
とりあえず、サポート隊に伝えなければ、私は福村さん・高相さんに工藤君を預け、マイクスロード下り、R3へ。金沢さんらサポート隊(後から、サポートバンでマイクスに入る予定)にこのことを伝えなければ、しかし、国道3でサポート隊と出会うことはできませんでした。レストランまで戻るが、サポート隊がいないのです。レストランのお姉ちゃんにメモで、サポート隊のことを聞くが、うまく私の意志が伝わないのです。仲間がクラッシュした。助けてくれ!なんで伝わらないんだ!?。しばらくすると、KTMのライダーが、声をかけてくれました。私のヘタクソな英語で状況を話すと、すぐにレスキューを呼んでくれました。エンセナダに戻った石井さんにもこの事実を伝えなければ!近くにいると思われる金沢さんにも!でも、こんな時に限って、電話番号がわからないのです。やっぱり、ボーダフォンに入っておけばよかった!
とりあえず、ジョカーホテルに連絡をし、BOSS・MRイシイにフレンドがマイクスでクラッシュしたこと伝えてくれと、、、。あとは、石井さんに伝わるのを祈るしかない。
(石井注釈:のんびりとホテルに戻った石井、唐沢はフロントから“事故”の電話があったことを聞いた。誰が?怪我は?まったく詳しいことが判らず、「ホテルにいて欲しい」とのことだったので、部屋でまんじりともしないで待った。12時までボンカレーだけで待った。しかし、何の連絡もなかった我々にとっても重苦しい夜になってしまった)
しばらくすると救急車がレストランを通過したので、再び、マイクスロードへ。
クラッシュ現場では、ポリスがなんだか、現場検証らしきをしているが、最終的にはお金をせびってる。高相さんが交渉するが、お金!お金!なのだ。救急車の人達は、適当(本当にテキトウ)に工藤君を見て、大丈夫だと言ってる。この国はどうなってるんだ!苛立つ私に高相さんが「この国(メキシコ)はお金の国、日本以外の外国はお金ですべて解決の国だ」と冷静に説明してくれた。その後もポリスは引き下がらず、救急車が立ち去った後も、お金ですべて解決しよう!のような話をしてくる。そこへ、アメリカンライダーの男女が通りかかりました。(レース後、バハボンドのティムモートン氏ということがわかりました。ありがとうございます。)いままでの経緯を話すと、ポリスと交渉してくれました。ポリスはやがて、いなくなりました。アメリカンライダーは「すぐに、ここから立ち去ったほうがいい」と私達に伝えてきました。水も分けてくれて、感謝です。金沢さんらサポート隊も合流し、大破したWRと工藤君をサポートバンに載せ、マイクススカイランチへ移動です。マイクスまではさすがにいろんなことを考えて、アクセルは開きませんでした。
マイクスに到着後。恒例のスカイランチステーキを食し、その夜は工藤君の治療を行い、(高相さん・福村さん・皆ありがとう)就寝ZZZZZZ。スカイランチにはリック・ジョンソンが宿泊してました。
4日目:早朝にマイクスを出発した、サポート隊とトリニダットRM256で合流します。コースマップ上はスカイランチ〜R256までは、63マイルですが、下りのガレ場が予想以上に荒れていました。そのため約3時間もかかってしまいました。本番の時はどうなるんだろう?っていうか203Xはレースに出れるのだろうか?
RM256でサポート隊と合流し、軽食を取り、R1・RM285に向かいます。ここからは林道のような感じです。RM285で、石井さん唐沢さんと合流です。この時、初めて、石井さんは、前日、マイクスロードでの事件の詳細を知ることになります。どうも、石井さんは、やっちゃった候補に、福村さん・私を予想していたようです。え!?私ですか?
RM285から、R1を少し走り、再びダートへ、ここからは2000年の初バハの時からお気に入りのコースです。しばらく、気持ちの良いダート続き、中盤は右手に太平洋を見ながら、海岸線を飛ばしていきます。ときたま、急な凹みもあるので注意です。石井さんはツーリングペースと言いながら、結構、速いです。無事にサントトーマスに到着。その後、ウラパンからオーフォスネグロスへ。この区間は意外に、ガレ場あり、山岳あり、で変化に富んでます。無事、オーフォスに到着し、R3経由でエンセナダ、ジョーカーホテルに戻ります。
プレラン2日間で約400マイルも走り大満足です。
ホテルに戻ると、斉藤が一言「WRフレームもイッテル、フォークは駄目だ!」。ガビーン!なのです。前日、見た目はハンドルとホイル大破ぐらいだったのですが、、、。確かによーく見ると、ハンドル周り、ホイルはOUT!、フレームもクラックと歪みが酷いです。
ここで、203Xのバハ500は終わってもおかしくない状況でした。
しかし、日本にいる久保田さんとBOSS金沢さんのご好意で、02WR久保田号を譲渡させていただくことになりました。ありがとうございます。これで、スタートには立てる希望が出てきました。
ただ、02WR号は、バハ2000・バハ500×2回・多くのプレランで、かなり、エンジンは疲れてます。エアクリーナーも一つしかありません。03以降のWRとはエアクリーナーの形が違います。とは、言っても、出場するのです。できる、できない、のではなく、やるのです。
5日目:斉藤の提案で06WRのリア周り(スイングアーム。エアクリーナー・リアフレームなど)を02WRに移植することにしました。絶対に移植ができるかはわかりませんでしたが、、、。
斉藤の腕にかけることにしました。翌日、朝からの手術で、夕方にはどうにかカタチになりました。リアまわりは06の、なんとなく06風の02WRの完成です。リンク比の関係でかなり、リア上がりのマシンになってしまいましたが、ノープロブレムです。この日も、204Xのバンがエンセナダで買い物中に、窓ガラスを割られ、工具、タイヤを持っていかれるとう事件がありました。
6日目:この日は軽い整備と、車検。車検はヘルメットチェックで不合格をもらいました。私のアライのMX3はダメでした。石井さんの《裏テク》で無事クリアーしました。今後、出場する人は注意です。ヘルメットは最新を!この日は、明日の本番に備えて、走行区間の決定です。工藤君が負傷のため、当初のプランを変更せざるおえなくなりました。工藤君本人は、出場を迷っていたようですが、、、。
実際、手は車に轢かれたせいで、グローブのようにパンパンに、股関節もかなり痛いようです。腕の擦過傷の膿も酷い、肋骨も折れてるかも、、、。でも、せっかく、ここまできたのだから、出るべし!皆の応援で出場を決意。体のことも考え、プレランをこなした、オーフォス(RM28)〜RM148を走ることになりました。その他は私が、気合で走ることになりました。でも、下りのスカイランチは走りたくないなぁ〜。
7日目:ついにレース当日、エンセナダの街は濃霧に包まれてる。504X(唐沢さん)・204X(及川さん)・203X(大室)でスタート地点に向かいます。スタートには早くも多くのライダーが集結していました。すごい参加数です。今回で4回目のバハのレースですが、私が参加した中では一番ライダーの参加数は多かったように感じました。バハ=XRのイメージですが、かなりCRF450Xが増えてきてます。いよいよスタートです。この瞬間はなんと表現してよいものか・・・爆発なのです。ついに、6月3日6時58分30秒203Xはスタートしました。スタートしてからしばらくは真っ白です。河川敷をアクセル全開で走り抜けていきます。周囲にはメキシコ人の観客がたくさんいますが、多いところほどトラップに注意です。珍しく、河川敷にトラップらしいトラップはありませんでした。やがて、山岳林道に入ります。やがて、小さな村を通過、このあたりで早くも後方からクアードがやってきて、抜かれるたびに目の前が、真っ白になます。2輪のOVER250クラスもかなり下りや上りで転倒しています。私もクアードに抜かれれるたびにスローダウン。しかも、スピードを落としたにも関わらず、下り坂で転倒してしまいました。ふだんならこけないんだけどなぁ・・・・体がまだ硬いのです。カームダウンなのです。ステムがやや曲がってしまいましたが、蹴りで修正。落ち着いて、オーフォスで待つ工藤君にバトンを繋がなければ、、、。なんて考えながら、水を飲んでると204Xが横を通過していきました。速いなぁ及川さん。オーフォスネグロスには204Xに遅れること2分で到着。無事、工藤君にバトンタッチです。一安心です。あとは、工藤君が無事、RM148に到着するのを待つだけです。工藤君を送り出した後、サポートバンでR3経由でRM148で移動です。RM148に着くころには、6X、2Xが早くも通過してました。待つことどのくらいでしょうか?灼熱の荒野の中から、数十分おきに2輪がやってきます。時間はわかりませんが、504X唐沢さんがやって来ました。少し、疲れてるように見えました。この暑さの中、スタートから、ここまで走ってるのですから、凄すぎます。204X号も暫くするとやって来ました。及川さんは元気ですが、コースがタフだったと、プレランとは様相が違っていたと言ってます。
204Xは高相さんにライダーチェンジをし、サポートはRM256へ移動です。私達は工藤君の到着を待ちます。でも着ません。やっちゃたかなぁ?なんて斉藤と話をしてると、灼熱の荒野から、203Xが現れました。204Xに遅れること40分。無理せず、少し時間は掛かりましたが、体調を考慮すればGOODジョブです。エアークリーナーを交換し、私は再び、BAJAの荒野へと走り出しました。ここから、ゴールまでは私が走ります。R3に出るまでは、白砂のフープス・直線、少しでも先行し、4輪のアタックから逃れなければなりません。マイクススカイランチは順調に走破しましたが、後半、ロビーゴードンやモンスターエナジー号などトロフィートラックのアタックを食らいました。恒例の4輪をサポートするヘリの恐怖も味わいました。音量規制のせいか、横に並ばれるまで、気づけないので非常に怖いです。この区間はプレランの時より快調に走れました、RM256に到着です。ここで、問題が発生しました。なんと、エアクリーナーを外す際にシートレールを固定するロングシャフトが折れてるのを発見。万事休す。と思いましたが、ここで、斉藤が、緊急手術、06WRのパーツを非常用に持ってきていたのです。その中に運よくシャフトがあり、約30分ほどで復活しました。斉藤の機転には頭が下がります。バナナとコーラでエネルギー補充をし、ひたすら、アクセルを開ける。海岸線に出ると、気温を一気に落ち始め、体力を奪っていきます。サントトーマスへ戻ってきた頃には、陽が沈み始めてました。これは、やばい!ナイトランかな?。
ウラパンから、オーフォスネグロスの山岳地帯で完全に陽は落ち、夜闇になってしましました。オーフォスまであと少しなのに、、、、。WRもこれまでの走破でダストをかなり吸っており、パワーもまったくなくなってしまってます。ノーマルライトで、4輪に抜かれるたびに、目の前は真っ白になりここは何処?状態になり、小休止。あと少しでオーフォスなのに、、、。 ナイトランになり1時間ほどしたところで、オーフォスネグロスの原野が見えてきました。サポート隊の車の明かりの群れを見て、ホッとする。どうにか、21時近くにオーフォスに戻って来れました。
ここで、最後のマシンチェックを行い、ゴールへ。ビックライトは軽量化のためあえて付けませんでした。斉藤、加藤GOさん、工藤君に次はホテルで会うことを誓い、ゴールに向かいます。あと約28マイルです。体は興奮状態なのか、疲れはあまり感じていない。再び、オーフォスの村の中を走り始め、山岳に入る。しばらくすると、まったくの闇夜に包まれてしまった、方向もわからない。完全にミスコースをしている。30分ほど、さ迷い、民家があったので、住人にコースを教えてもらい、オンコースに復帰。その後も、3回ほど、コースを間違えてしまいました。後からくる4輪もミスコースをし、助け合いながら、オンコースに復帰です。この区間で1時間近く、迷ってしまいました。リミットタイムまで後わずかです。大分、意識も朦朧とし始めたころ、見慣れた、林道に出てきました。ようやく、エンセナダに戻ってきました。16時間前に通過した、河川敷を走り、スタジアムへ。
23時11分7秒 203X ゴール。
ゴール後はしばらく脱力感に追われましたが、すぐに、メキシカンキッズがグローブやゴーグルをひっぱり始め、我に返る。フィニッシャーバッチをオフィシャルと交渉し、4個貰い、みんなの待つ(もう寝てるかな?)ジョーカーホテルに戻る、、、はずが、ここでも市内でミスコースをし、ホテルに戻ったのは0時をまわってました。斉藤・工藤君・加藤さんに無事フィニッシャーバッチを渡すことができました。及川さんら皆も駆けつけてくれて、みんなの顔を見て、すごく、ホッとしました。無事帰還できました。
今回のレースでは203Xチームは皆様に多大なるご心配をおかけしてしましました。
本当に申し訳ございませんでした。また、ご支援をいただき、レースに出場することができました。ありがとうございました。相方がプレランでクラッシュした時は、もう、終わりかと思いましたが、日本に帰国できたことには感謝です。今回のバハ500はいろいろありましたが、これも、BAJAです。また、挑戦します。病は少しの間は再発しないと思います。
レポート:大室 北洋
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