| 6TH ANNUAL HYR 24 HOURS OF GLEN HELEN
2004年9月25、26日 於グレンヘレン
参加リポートBy デビル花輪
1)はじまり
6月のテストコースは暑い。40℃の気温のなかある耐久テストがいつもの様に行われていた。
ライダーは4名でそのなかの1人が今回24時間を走ったJeff Willowである。
彼はちょっと前に行われた6時間に仲間と彼のRMZ250で出て、レースがいかに面白いかを他のライダーに熱く話していた。みんな出たいと言い出した。そこで、会社には03のCRF450があるしライト類も何とかなるから出るか!と盛り上がり9月の24時間参戦が決まった。決して“アクマの囁き”をしたわけではない。この時のオリジナルメンバーはほとんど残らなかったが・・・
2)準備
これからが大変である。テストが無い時はライダーは来ないので1人で準備をしないとならない。
まずは会社のBOSSに話して、マシン、サポートトラック、その他備品の使用の許可を取りつけた。
条件は”勝つ”事!プロライダー4名なので当然プロクラスそして相手はワークス・・・でも耐久だったらチャンスは有るとマジに思った。
借りた03はほとんど乗っていないので状態は良い。まずはスペアホイールを探したが、有るのはリムが曲がった物ばかり・・・まずはリム交換を1日1本ずつ始めた。タイヤは余り物、チューブはダンロップさんがヘビーを提供してくれた。そして2ヶ月後にはスペアホイールが揃った。
車体はサスをライダーのスポンサーのインデペンデントと言うサス屋に出してバルブ、スプリングをオフ用に変えてもらった。
後はIMSのタンクとステダンを付けただけ。ライト系は石井さんからBAJAで使ったライトを借りて、発電機は02年BAJA1000でCRFに使った物を借用とみんな借り物、拾い物のバイクになって来た。
後はエンジンをオーバーホールして完成。しかし、仕事の前と後にちょこちょことしか作業できないのが辛かった。スペアパーツも会社から借りて、何が壊れても完走だけはできる状態にした。
(ルールではフレームとエンジンのセンターケース以外は交換できる)
これらの準備が終わった時は既に9月・・・ライダー達とは時々会っていたが、最初のメンバーも色々な事情や怪我で走れない者も出てきた。結局、ジェフ・ウイロー、デニス・ステイプルトン、トッド・ゴズラーは決定したが後の1名がいない。
当初出ると張り切っていたラスティー・ホーランドもナショナル最終戦で怪我して駄目・・・
ライダー達で探してくれと頼んでウイローの友達のアクションジャンプのダスティン・レイアーに決定した。
なんせ各ライダーが自腹なので、なかなか乗るって言うライダーが居なかった・・
レースの3日前の夜のテストコースで最後のテスト。ライトもまあまあ明るいしサスもエンジンも調子良い。
この時はライトで苦しむとは思ってもいなかった・・・そして借りたトラックへの積み込み・・・基本的に1人なので3時間もかかり汗びっしょり・・・・マシン2台(1台は部品取り)、タイヤは10セット、ガソリンドラム缶2本(400L)、発電機にライト、パーツ山ほどと中身はワークスに負けないが見た目は・・・・
3)レース
そしてレース当日の朝、手弁当だけど来る?と連絡を取っていたメカ担当の木村君、佐藤君、会社の同僚のでっかいロバートもモーターホームで来てくれた。その他は時間を変えて来てくれる事になっている。石井さんは夜担当の予定。
バイクのナンバーは4!プロクラスは6台で自分達のピットが一番ボロかった・・・TYのチームはナショナルで見る様なでかいトレーラー、アメホンチームもいつもBAJAで見る体制、KTMもプロサーキットも本気の体制だった。
自分達はとりあえず担当を決めて、ロバートはガス係、木村、佐藤組みはタイヤ、自分は全体を見るって事にした。
練習は無し・・・レースが進めば上手になるでしょうって乗り。
そして朝10時にレーススタート!レース経験者のウイローがスタートライダーだ。ルマン式で10m程走ってエンジンスタートしてレース開始。ウイローはトレーニングしていないから10mも走ったら駄目だ!と他のライダーが野次るが3番手位で良いスタートを切った。
走り出したらそこはプロ達、17分程のラップで順調に走る。作戦は4周交代だったが、短距離ライダー達なので持ちそうも無い・・そこで3周約1時間弱に切り替えた。4人目の前に初のタイヤ交換、が、そこで事件は起こった。
今回のリアスプロケは50T(のはずだった)。全てのホイールには50Tが付いている。が、最初に使ったのだけ48Tだったのだ・・・
慌てて外したホイールを元に戻して次までの間にスプロケ探しでピットは走り回った。アメホンから49TをもらってFも13Tをもらった。そして電話をかけまくり何とか3枚手に入れる事ができた。
大きな事件はこれだけ、すぐそばのプロサーキットチームは新星ジョッシュ・グラントが大きくクラッシュ!(目撃者の話によると立ち木に激突したそうだ)ラジエターホースを切ってオーバーヒートから焼き付き!エンジンを降ろしてクランクから交換している。これで1台減った!
スタートから数時間経って、1位はTY、2位はジョニ?(キャンベル)チーム、3位はKTMで自分達は4位。この時点ではそんなに遅れていない。
そして夜がやって来た。発電機を始動してライトを点ける。バイクのライトは250Xのノーマルを夕刻から付けているのでそれなりに走れるはず。真っ暗になったらBAJAライト(シングル)に交換予定
だった。暗くなってからの彼等のラップは20〜22分位。途中電球が切れて帰って来たがラップは22分・・・ヤツらの感覚は普通でない。真っ暗な中ででかいシジャンプも飛んでいる!やっぱバカだ!
ライトはノーマルだけど、上下同時点灯すればそれなりに明るい。ライダー達もヘルメットライトを付けて走っている。
しかし、やっぱり暗いと言う事でBAJAライトに交換した。しかし光量は有るが配光が狭いので走り難いと言うライダーもいる。
重さも効いているみたいだ。しばらくは我慢してもらうしかない。他のチームを見ると多くがBAJAデザインのテカテ・ライトを使っているHID+普通のハロゲンでMXコースでは良さそうだ。しかし、トラブルも多く出ている様子。
夜のピットはほとんどお祭りの露店状態。ビールを山ほど持っているヤツも居る。しかしそれも夜中の2時位まででその後は段々少なくなって来た。走っているバイクも20台位って感じで、プロクラスの6台とエキスパートの数台だけが全開の音でストレートをかっ飛んで行く。他の連中はバイクやライダーが終わっていたり、ライトトラブル等でピットに駐車状態で朝を待つつもりなんだろう。この頃にはトップから4周遅れ。他のピット内でも我がチームは話題になっていたらしい。
「バックヤードビルダーチーム」とか「謎の東洋人チーム」とプロサやKTMチームで言われていたと後で聞いた。
バイクはボロいが速い、壊れない・・・(そんなにボロかったかな?)アメホンのブルースとタイは知っているから少しは恐れていた?・・・
マシンは多少の問題が有ったものの基本的には調子が良い。エンジンは良い音をしている。メカも疲れて来たがタイヤ交換等も慣れて早くなって来た。
朝6時、そろそろ日が昇る。ここまで走って来ただけでも大したもんだと自分は思った。サポートもほとんど寝ないでライダーを待っている。自分も15分位しか寝ていない。みんな支離滅裂な事や同じ事を何回も言ったりして面白い状態だ。ここで朝を待たずにライトを小さい物に交換しラストスパートだ。差は3位と数周、5位とも数周でトラブルが無ければ4位は確定状態。でもライダーは疲れていても乗れば全開だ。
長い夜がやっと明けて来た。残りは3時間ちょっと!サポートも太陽を見たら少し元気になって来た。
こうなったら後は消化って感じ。プロクラスは相変わらず皆全開!やっぱ変だよ。
9時ちょっと前に最後のライダーのデニスが出ていった。ゆっくり走って3周でOKだと言ったが、乗ったら全開なので9時57分に4周目に行ってしまった。相変わらず全開・・・壊さないでくれよ。
トップも他の連中もゴール前で24時間を待ってチェッカー!!1位はTYチーム、2位はホンダ、3位は
夜通し走るピットおじさんが居たKTM、そして10時15分にデニスが帰って来た。4位決定だ。
バイクを降りたデニスはほとんどヘロヘロ・・倒れる寸前だった。後から聞いたが、ウイローは吐いたりして倒れていたらしい。使ったリアタイヤは8本、フロントは2本、ガソリンは150L(+発電機で60L)、平均睡眠時間は30分(30時間で)、・・・で我々の24時間は終わった。
4)終わり
疲れたがプロライダー達の速さと、ピットの準備不足(当たり前)を感じたレースだった。マシンも大きなトラブルが出なくて良かった。
24時間走っても転倒していないからキレイなもんだった。エンジンもキック一発!まだまだ使える!?
急造チームながらさすがはみんなBAJAサポート経験者、何も言わなくてもテキパキ動き作業をしてくれたサポートに大感謝である。今回はサポートだったが、そのうち自分でも出てみたい
と思った。しかし、その前に片付けが有る・・・やれやれ3ヶ月かけて片付ける事にしよう。
ライダー達は『来年は3戦共出る』って言っている。またチームHPCCが復活するか
もしれない。
その時はサポートよろしく。特にライト!!とエントリー代・・・・マシン・・・・・
スポンサー大募集です。
《チーム・HPCC・バックヤードビルダー》
監督:アクマ(花輪 英憲)
|