このコーナーでは、プロテックスポーツがサポートを行った参加者のレポートを紹介します。

 
20th Annual District37 AMA L.A.-Barstow to Vegas Dual Sport Ride
参加レポート  by 亀岡 将照

仕事の都合でなかなか長期休暇が取れない中、他の社員の冷ややかな視線と罵声を浴びながら、少し強引に休日を取ってアメリカへ行ってきました。日本では、まだそれ程Dual Sport Ride自体メジャーではないが、アメリカでは、毎月どこかの州で開催されている程盛んである。レースでもないのにAMA(American Motorcycle Association)Suzuki National Dual Sport Trail Ride SeriesというしっかりAMAのシリーズ戦に組み込まれているのだ。このイベントは、Los AngelesからLas Vegasまでの道のりを2日間かけてロール・チャートを使かって走破するもので、スペシャル・ステージのないラリーみたいなイベントである。もちろん公道を走行する為、ストリート・リーガルのバイクに限られる。ルートも全体の8割がデザート・エリア及び山岳路のオフロードである。エントリー・フィーが格安の上($125.)、充分にデザート・ライディングを堪能できるのだ。歴史も古く今年で20回も開催されているこのイベントに自分も今回で3回目の参加になる。初参加が6年前の14回大会、DR350Sで完走。2回目が3年前の17回大会、KLR650での参加だったが2日目スタートして1時間ほどでマシン・トラブルの為リタイヤ。今回そのリベンジという意味合いも兼ねて3ヶ月前から準備に取りかかった。

11月26日、成田空港出発前、バイクの手配をお願いしていたMさんからTelが入る。Mさんには今回のイベント参加に当たりアメリカでのレンタル・バイクの手配を彼に頼んでいた。内容を聞いて唖然とした。
なんと借りるはずだったXR650が、アメリカの陸運局に登録する際にトラブルが生じて、登録できなかったらしいのだ。つまりレンタルできなくなったのだ。“なんで日本を発つ日にこんな通告を受けなければならないのか?”!!!。とりあえず他のレンタル・ショップをMさんから紹介してもらい、そこでDRZ400Sをレンタル予約をして事なきを得た。すぐさまL.A到着後のスケジュールを頭の中で組み直す。まさにこれからが前途多難の幕開けだったのだ。そんな事とは知らず、やがて日本を旅立った。
同日の早朝、L.A.到着後レンタカーを借り、まずはレンタル・ショップへ行き、契約を済ませる。イベント中に荷物を預かってもらう事になっているリバーサイドに住んでいるプロテック・スポーツの石井さんの家に向かう。L.A.からリバーサイドまで約60マイルほどの道のり、時差ぼけで容赦なく襲ってくる睡魔と格闘しながらの運転は結構辛いものがある。途中何回も意識が飛びそうになった。昼過ぎ無事、石井さん宅に到着。石井さんと初めて知り会ったのは、1992年のプロテックのBAJAツーリングの時である。石井さんといえば、1980年代からBAJA1000に数回参加してたし、しかもソロで完走してしまうタフな人である。当時レースとは無縁のツーリング・ライダーだった自分にコンペティションの楽しさを教えてくれた人である。どうやら今回、偶然にも花輪さんがDual Sportに参加するらしかった。花輪さんはプロテックでBAJA等のレースやツーリングをサポートしている人である。自分も以前だいぶお世話になった事がある。8年ぶりの再会になるかな。その日の午後、バイクをピックアップする為にL.A.に戻る。バイク引取り時にまたも予定外のことに頭を悩ませた。タイヤが・・・・。BSのトレイル・ウイング42、こんなタイヤ今まで使ったことがない。まるでロード・タイヤだった。もっともショップの店員もただのツーリングだと思って貸し出しているのだろうけど。一日中バタバタと走り回ってかなり疲労していた上に、まだ泊まるところも探していなっかったので、文句も言わずに日が暮れたL.A.空港近くの通りをうろうろしながら宿を探した。とりあえずタイヤは明日、近くのバイク屋で交換する事にした。後ほど気付いたのだがカウリング類のボルトが4から5個外れていた。メキシカン・メカニックは信用できないと思った。大体英語も話せないのになんでここで働いているんだと!?。夕食後、ベットに倒れこみ一瞬で深い眠りについた。

11月27日、朝タイヤ交換の為、周辺のバイク屋を探すがどこも祭日の為休みだった。あきらめてこのまま走ることにした。今日は早めにスタート地のLancasterという田舎町に移動する。LancasterはL.A.からハイウェイ14で73マイルくらい山越えしたところにあり、近くにエドワード空軍基地がある。 
途中かなりの強風にあおられ走行に苦労した。夕方のニュースでこの強風でトレーラーがひっくり返っていたのを見て妙に納得していた。

11月28日、朝6時に集合場所のバイクショップに行く。既に多くのライダーが受付、車検をしていた。
バイクはHONDA XR650, 600, 400, SUZUKI DR650,350, DRZ400, KAWASAKI KLR650, KTM, BMWなどなど。早速、花輪さんのところに挨拶しに行く。バイクはCRF450にステアリング・ダンパーが装備されていた。直ぐにレースで使えそうなバイクである。それに比べて自分のバイクは・・・。
参加受付と車検を済ませたライダー達が自由にスタートして行く。レースみたいに一斉スタートしたり、秒又は分間隔スタートでもなく、受付時間内の6:30〜8:00までの間にスタートすればよいのだ。
ただしあまりゆっくりしているとパンクやマシン・トラブルの時に時間がなくなりスイープ・スタッフに後ろからあおられるか又はリタイヤする事になる。7:00前、花輪さんと一緒にスタートする。
本日のルートは、Barstowまでのモハビ・デザート周辺を走る220マイルのルート。チェックポイントのRidgecrestという町まで北上し、そこで昼食と給油。後半は南東方面に位置する1日目のゴールであるBarstowまで走破する。この辺り、非常に多くの枝道がありナビゲーションに気を使う。ひどい時は分岐ごとに止まってルートを確認した。それでもこの日3度ほどミスコースした。
久々のデザート・ライディングにかなり興奮していた。スピードメーターは既に60mile/hを上回っていた。
それでも容赦なく数台のバイクに抜かれる。埃のせいで前が見えないし非常に走りずらい。それとたまに現れるウオッシュアウト(雨水によってできた大きな溝)とサンドに埋まっている石に肝を冷やしながらの走行が続く。またある時は30マイル以下にスピード制限されているエリア(陸亀の保護区)を少しだけオーバーしながら走行する。この日スタートしてから1時間ほど走ったところで、今後の走行に影響を及ぼすトラブルが起こった。フロントタイヤを石にヒットさせてして転倒。不運にもその同じ石でエンジン左のジェネレーターケースもヒットした。気を取り直してバイクを起こすと、なにやら液体が勢い良く流れだしているのに気付く。“エンジンオイルだ!“バイクを再度倒し確認するとケースに縦1cm横2cmほどの穴が開いていた。“終わった、またしてもリタイヤしなければならないのか“と思った。一瞬3年前のリタイヤした時の事を思い出した。その時は、フカフカのサンドを走行中、埋まっている石にフロントタイヤをヒットさせ右に転倒、再度エンジン始動した時、噴水の様にラジエター液が漏れていた。ウォーターポンプハウジングの取付けボルトが石にヒットして”く“の字に曲がったのだ。他のライダーにエポキシ充填剤をもらい修理するがあせりもあって硬化に充分な時間をかけなかった為、まだ硬化していないエポキシから液がジワジワ噴出してきた。修理失敗。
結局スイープカーのお世話になりあえなくリタイヤしたのだ。とにかく前回の教訓を生かし、あせる気持ちを落ち着かせた。このため?に用意していた瞬間接着剤とエポキシ充填剤で修理に取りかかる。
幸運にもケースの破片も見つける事ができた。エポキシが硬化するまでひたすら待つ。その横を多くのライダーが通り過ぎて行った。たまに声をかけてくれるライダーもいたりして勇気づく。中には修理箇所の写真を撮るライダーもいた。しかも修理箇所を指差せと要求していた。修理に1時間ほど費やして再スタートする。しばらく10マイルごとにオイルリークの有無を確認しながら走行した。この修理時間で最後尾グループになっていたらしく、1台のスイープバイクに追いつかれていた。時間のロスを取り戻す為、昼食もろくにとらず、給油のみして先を急ぐ。
給油するにも普通のガスステーションを利用するため、いちいち釣銭をもらいにレジに戻るが、これがまたイライラの素でもある。たかが10セントのお釣りをもらうのに5分以上待たされたこともあった。前に並んでいる人の買う物の多いこと、加えてレジのおばさんの動作の遅さに普段“温厚”な自分もさすがに切れそうになる。徐々に日が傾き始めた頃まだBarstowまで70マイルもあった。これはもしかしてナイトランになるかも。1時間後残り30マイル地点ですっかり闇に包まれた。ヘルメットのバイザーにつけたマグライトの明かりでロールチャートを見る。遠くの方にBarstowの町の明かりが視界に入る。
ほっと一安心、しばらく町の明かりのイルミネーションに酔いしれる。最後にBarstowの町中でミスコースするといったオチもあったが18時前、無事ゴールした。一方の花輪さんは、15時過ぎにゴールしたらしい。予定ではタイヤ交換するはずであったが、疲労の為その元気も無く明日もこのタイヤで走ろうと覚悟を決めた。埃と疲労で目が充血するし、マシンにダメージを与えてはいけない走りとタイヤのコンディションに気を使いすぎて精神的にも肉体的にも疲労困憊といった感じである。軽くバイク整備と明日の準備をしてホテルのベットに倒れこんだ。

11月29日、早朝5時に起床。本日のスタートは6時から7時。東の空が僅かに明るくなり始める頃4スト・サウンドが静かなBarstowの町の中に響きわたった。前日の様にナイトランはしたくないので、早めにスタートする。いよいよゴール地Las Vegasまで走破する240マイルのルートだ。
前半フリーウエイ15沿いを2〜3度交差するようにBakerまで走り、給油。そこから徐々に北上しネバダ州に入りSandy Valleyのチェック・ポイントで昼食と給油。そこから山岳路のレッド・ロックキャニオンを越えLas Vegasまでの道のりである。途中でレベルに合わせてHard wayとEasy wayに分かれる。
Easy wayの方がおおよそ20マイルくらい、時間にして1時間ほどショート・カットできるのだ。さすがに花輪さんのように当然“Hard way”をチョイスするというわけにはいかなかった。自分の技量も含め、マシンにダメージを与えず、パンクをさせない走りに徹するためEasy wayを選ぶ。後ほどあまりの単調なルートに後悔する。
ルートは、道幅の広いハイスピード・ダート、アップダウンの続くダートに突然のウオシュ・アウト、川原のような10マイルくらい続くロック・セクション、砂漠地帯には珍しく川に水が流れているところもあり2箇所ほど深めの川渡りをする。レッド・ロック・キャニオン周辺の山岳路では日本の林道を走っている感じだった。前日のルートと比べると分岐が少なかったせいかアベレージ・スピードも高い。10時にBaker,11時30分くらいにSandy Valleyと順調に走る。念のため修理箇所を確認する。少量のオイル・リークがあったので石鹸とガムテープで応急処置をする。“最後までもってくれ”残りの85マイルを祈る気持ちで走る。レッド・ロック・キャニオンに続く林道のガレ場で休憩中、花輪さんに追いつかれる。やがて峠を越えると前方に赤褐色の石の山がそびえていた。あまりのすばらしさにまた休憩、ここまで来るともうツーリング気分である。最後に舗装路のハイウェイ159と160をつなぎ、ゴールのHotel San Remoに向かう。Las Vegasのホテル街、多くの観光客がいる中、場違いな埃まみれのライダー達が走り抜けていく。そのギャップが妙に新鮮な気分にさせてくれる。16:00前,6年ぶりにゴールした。レースではないけど、なんとなく優越感が込上げてきた。いろいろトラブルがあったからなおさらだ。花輪さんも15時過ぎにゴールしていた。その夜、レセプション・パーティーに参加した。フィニッシャー・ピンをもらっただけで、うれしかったのにインターナショナル・エントリー賞までもらってしまった。一番遠くから来た参加者を表彰してくれるのだ。その他にも一番古いバイク、最多出場、小排気量、最高齢ライダー、などなど表彰されていた。加えて数々の粗品までもらって、復路は自走で荷物満載で帰らなくてはいけない自分にとっては、ありがた迷惑である。どうパッキングするか頭を悩ませる。これも毎回の事なのだが、サポート隊のいない自分は帰りのL.A.まで300マイルの道のりを荷物をバイクにくくりつけて、自走で帰らなければならないのだ。しかもこんな時に限って、修理箇所一面にオイルがにじみ出ていた。全く最後まで気の抜けない復路になった。エポキシで再修復して単調なフリーウエイ15をL.A.方面へ出発する。今までの積もり積もった疲労が追い討ちをかけるように睡魔に拍車をかける。移動の8時間、給油以外ほとんど休憩も取らず走り続け薄暗くなった頃L.A.に到着した。

なにかとバタバタ忙しいアメリカ滞在中、ようやく帰りの飛行機の中で一息つく事ができた。
自分にとってイベント参加の2日間だけでなく、滞在中の8日間の全てがイベントだった気がしてならない。本当にいい経験できたし、いろいろ勉強になった。それと今回お世話になった石井さんと花輪さんに心から感謝したい。もし機会があれば、また参加したいと思う。今度はフルコースをもう少しまともなバイクで参加したいと思う。


福岡ひで之

 
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