このコーナーでは、プロテックスポーツがサポートを行った参加者のレポートを紹介します。

 
2002 BajaMex300

■私は、2002年9月20日〜22日にかけてメキシコのエンセナダで開かれた、「Baja Mex 300」にソロで参加してきました。その時のレポートです。

#1 レース当日(9月21日)

■前夜は緊張してあまり眠れませんでした。朝4時に起き、まだ真っ暗の中を自走してスタート会場へ向かいます。

私が出場した「アイアンマン・アマチュアクラス」のスタートはバイクの中では最後でしたが、まだあたりは薄暗く目が慣れていないのと、一面にモヤがかかっていて先が見えないのとで、スタートしてしばらくはなかなかアクセルをあけられませんでした。

ピット1ではマグセブンと一緒に、プロテックの方が待っていてくれました。まずは初めてのピットストップで要領もわからずやや緊張していた私ですが、知っている人と会えたので少しリラックスでき、すぐに出発です。

ピット1を出て間もなくのことです。まだそれほど疲れていない私は順調に走っていました。走りながら水を飲もうとして、手探りでキャメルバッグのホースをつかむと、ホースの先が何かに引っかかっています。思わず力任せに引っ張ると、「ブチッ」という手応えとともに腰からブーツの中にかけて急に濡れてきました。ハッとしてホースを見ると、飲み口のバルブが無くなりバッグの中は空になっています。「これから次のピットまで50数マイル、飲み水なしで走らなきゃならないの!」「プリランの時はこんなトラブル起きなかったのに、よりによってなぜ大事な本番でこんな目にあうのか?」

こうなると、水のことが気にかかってしまい、どうも走りに集中できません。
「気が散る」 →  「何でもない所で転ぶ」 → 「バイクを起こしたので喉が乾く」 → 「余計に飲み水のことが気になる」 という悪循環です。そんな感じで20数マイルは走ったでしょうか。「あー、喉が乾いて我慢できない!誰でもいいからその辺で見ている人に水をもらおう」と思い、恥ずかしがり屋の私は誰に声をかけてみようかと善良そうな人を探していると、ちょうどゼッケンチェックの「STOP」の看板が目に入りました。そこで分けてもらった冷たい飲み水を一気に飲み干すと、本当に生き返った気持ちになりました。水と、オフィシャルからの目一杯の声援のおかげで、私はまた快調に走り出しました。

砂漠に落としてしまったとばかり思っていたキャメルバッグのバルブは、その後モトクロスパンツの内側からポロッと転がり落ちてきたのを見つけることができ、私のキャメルバッグはまた復活しました。私はなんて運がいいのでしょう。

■ ピット2に向かう途中から、だんだんとトラック、バギーに追い抜かれるようになり、ものすごいホコリを浴びるはめになってきました。プリランでは経験しなかった、想像を絶するホコリの嵐には参りました。レース中に一番辛かったことと言えば、この「ホコリ!」としか言いようがありません。 

ピット4を出た頃から、早朝から走り続けて疲れてきたこともあり、精神的には結構きつかったです。次々にやってくる四輪からも相変わらず容赦ないホコリ攻撃を受け、私はさらに疲れがたまっていきました。途中、深い砂地の狭い道で後ろから来た車を先に行かせようとした時、バイクに車を当て逃げされ、跳ね飛ばされました(まあ、たぶん相手もわざと当てたのではないでしょうけれど)。やっとの思いでバイクを起こした時、私は完全に頭にきていました。「くやしいッ!どーせ遅いヤツだと思ってなめてんだろう!絶対完走して根性見せてやる!」

■最後のピットであるピット6まで来て、まだ制限時間内であることを知った時は「ここまできたらなんとしても時間内に完走したい」と強く思いました。「もう距離も残り少ないし、飛ばせばすぐだろう」と出発しました。
が、その予想を裏切り、最後の区間が私にとって一番ハードでした。「ガレている砂地の急な上り」でリアホイールが半分埋まって亀の子状態になり、前にも後ろにも動けなくなってしまいました。辺りには観客は誰も見あたらずしばらく一人で格闘していたけれど、私の力ではバイクはびくともしません。「ここでリタイヤか…?」と本気で絶望しかけた時、ちょうど現れたオフィシャル3人組にバイクを引き上げてもらい、無事にレースを続けることができました。その後も走りにくい砂地が延々と続き、なかなかスピードが上がりません。必死に走っているのにどんどん暗くなってきて、気持ちがとても焦ってきます。

最後は本当に真っ暗になってしまい、ゴール直前のビーチに入ってからは、平らで目印もなく、右も左もわからない状態でした。コースマーカーはもちろん全然見えず、何度も迷いながら、地面のタイヤの跡をたどり、「やっと」チェッカーを受けることができました。闇の中を夢中で走っていたので、レースは終わったことが私にはすぐには分からず、まだ「先を急がなきゃ」と思っていましたが、知った人の顔がふと見えた時、「あっ、今ゴールしたんだ。やっと終わったんだ…」と心からホッとしました。

■たくさんの人たちが助けてくれたおかげで私も無事に完走することができ、感謝の気持ちでいっぱいでした。でも、フィニッシュライン通過の制限時間をほんの少し過ぎてしまったことを知った時、実はかなりガックリきました。それまでずっと順調にきていたのに、最後の最後になって道に迷い時間をロスしたことを、心の底から悔やんでいました。


 

 

#2 表彰式(9月22日)

■朝、表彰式会場へ向かう間も、やはり私は前日の悔しい気持ちを引きずっていました。気分も沈みがちで、正直なところ表彰式はパスしてしまいたいくらいでした。
が、会場に張られているリザルトを見ると、ちゃんと私の順位とタイムが載っているではないですか。自分では「DNF」とばかり思っていたのに、主催者は私の記録を残してくれていました。「やった!」本当にうれしかったです。オーバーした時間がわずかだったので配慮してくれたのでしょうか。「40位、12時間55分」は完走者の中で最後尾でした。でも私は、記録が残っていたことで「最後まであきらめないで走ってよかった」と、とてもうれしくなりました。

さらには、特別賞までもらうことができました。バイクは女性の選手が私だけだったこと、欧米人の男性よりずっと小柄でとてもソロで走れそうに見えない私が完走してしまったこと、などで主催者が気を配ってくれたのでしょう。会場に居合わせたたくさんの人達の歓声と拍手と握手を受け、とてもうれしかったです。そういうわけで、たいへん気分良く帰国することができました。

良いサポートがついていたことと、たくさんの人達が応援してくれたおかげで、私にとっては初めての楽しい体験をすることができました。今回の旅行中お世話になった人達に、心からお礼を申し上げます。

(終わり)


上條奈々子 (東京都多摩市在住。『多摩動物公園で象やキリンさんが病気をすると治療をしている』3?歳)

 
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