| 2001 BAJA1000 #3
山下睦美嬢、原田真由美嬢、村井由紀嬢の女性ばかり3名のチーム「サボテンシスターズ」の参戦レポートです。最後のレポートはチームリーダー、山下さんです。
★★★★★My Dream Baja1000 ★★★★★
熊本は火の国生まれの天草海育ち〜マイペース・のんびり屋・カッ飛び鉄砲玉(菊谷サン命名)こと山下です。
自分の夢だったBaja1000チャレンジのきっかけからメンバーとのスタートライン・参戦準備、バハで体験したこと、そして今感じる ことをレポートしたいと思います。
■以前、バイクショップのオーナーから『何故バイクに乗り続けてるの?』って聞かれたことがあり、少し考えたあとで私は『う〜ん感動したいからです』と答えたんですが、今振り返るとBaja1000参戦のためにずっと走り続けたような気がします。人との輪を広げてくれるバイクの魅力に気づき始めた頃、友達から借りたビデオを見てBaja1000というレースを知り、ビデオに釘付けになったのを覚えています。 今回のチャレンジで本格的に動き出したのは、2000年12月29日メンバー3人で福岡に集まり参戦への気持ちを確認しあったのが始まりでした。何度かまわりのバイク仲間に出てみない〜?と声をかけたりしていたんですが、なかなかうんっと言ってくれる人が見つからずなかなか前にに進めない私は熊本チームの林・松本さん達との出逢いから1996年にサポートとしてバハについて行ったんですが〜あることから突然当日エントリーというラッキーな指令を二人から命じられバハを走ることができました。この時にやっと生の石井さんと出逢い、花輪さんのことも知るきっかけとなり、今思うとこの1996年の出来事が今回のチャレンジに繋がっていったような気がします。二人を説得するのに林さんや松本さんにもいろいろ助けてもらい、実際村井・原田にチャレンジのことを伝える時は本当に心底ドキドキしていました。
初めはいろんな思いや不安を抱えながら、メンバーそれぞれがスタートラインを目指して少しずつ前に進んでいきました。自分としてはバイク好き3人として進んでいきたかった部分もありながら、女性であると逆にバイク製作等を含めていろんなことで遠回りしたり、まわりの人達にも戸惑わせたりして反省する部分もありました。今回一番悩んだマシン製作に関して自分達の我流のなさにははがゆく感じたし、まわりの男性にセッティング等の質問をしても答えも多様でそれぞれの経験やレースのフィールドの違いや自分流のマシンを理解しているからこそなんだろうと納得することもありました。メンバーにはまわりに信じるパートナーやショップが あり、マシンのことを決定していくのには時間はかかったんですが、いつの間にか乗って自分達で感じてセッティングを決めていく方向に変わっていき、これは私達にとって本番での経験含めてマシンに関しての一番の収穫であり勉強になったことだと思います。とにかく3人で納得しながら前に進んでいきたかった私はできる限り連絡を取り合い、会う機会を増やしてそれぞれの不安を話したり、意見が違ったりしたときは解り合うまで話しをするようにして、まずはスタートライン〜そして完走・・・と三人の気持ちがひとつにになれるように一年間すべてを懸けていました。 今、いろんな事を思い出すたびこの一年がものすごく濃縮された一年間だった気がして、本当にいい経験をしたと思っています。
■11/1福岡空港を出発し、ロサンゼルス空港でサポートの石井さんと合流〜メンバー全員ワクワクした心境のようでかなりはしゃいでいる
11/2 メキシコ入り、やはりまずはタコスご賞味!うううまい!
11/3〜6までプリラン(練習走行)開始〜初日は体が硬くなってると指摘されたが、慣れてくると自分の走りができるようになってきた。また、石井さんから楽なフォームを教えてもらい試してみるとこれがまたとってもいい感じ、疲れないし楽だった。プリランは最高ぉ!(一回ぶっ飛んだけどタラァァ〜)こんなに長い日数バイクで走ったのも初めてだったし、とぉぉぉぉっても楽しかった。
11/7
受付・マシン整備・ライダーズミーティング〜ヘッヘヘヘ。ラリーロスラーと握手。メンバー三人とも目がギラギラッ。
11/8 車検〜ライダー・寺戸メカニックと完走の決意★★
11/9
スタートラインへ。なぜかあまり緊張していない、第1ライダー村井ちゃん余裕。堂々としてた。202xAM6:50スタート〜。
2番手山下・自分の目標を無転倒と念じアクセルオン「待ってました〜」
天気も快晴、気分も絶好調〜フラットダートが続き、まずは自分の体とバイクの調子を感じながら走った。しばらくして道幅が狭くなり土埃が気になりだし前方をみるとバイクが見えてきた。以外と距離が縮まってくるのに気づき、抜く場所を伺いながら得意の下りのガレで抜き、視界が元に戻ったと思ったらお次はバギー登場〜抜けそうで抜けない・・・・・。プリランでけっこうみんがぶっ飛ぶところと聞かされていた場所が見え、少し自分を押さえて走ることにした。ぶっ飛ぶのを待ってるかのようにアチラコチラにカメラマンがひそんでいて、押さえていたつもりなのにウォッシュであやうくぶっ飛びそうになって必死にバイクにしがみ付きなんとかクリア〜カメラマン達があわてて逃げまくるのがなんかおかしかった。
終盤の国道に併走しているコースに入るとペースを上げ、3番手原田へバトンを繋いだ。最大の難所サミット越え「真由美嬢がんばれぇぇぇ」ずっと祈ってた。
4番手村井〜ドライレイク過ぎた所から5番手山下へ〜ピツトでヘリコがパタパタと空を飛んでる。やがて四輪の姿が見え始めた。はぁぁぁやつらがきたぁぁぁ〜村井ちゃんのことが気になるがんばってるかな〜
5番手山下〜Zoo Roadを目指す。ひたすらま〜っすぐサンド・ウオッシュ腰が痛くなったのでウオッシュのこぶ部分でシッテイングしてリズムを作って走るようにしたら、それほど疲れなくなりペースをつかめるようになった。永遠と続く直線からコーナーに変わりウォッシュ終わり☆と期待したのもつかの間〜現れたのは先ほどと同じひたすら長い直線のサンドウォッシュはぁ〜まだかまだかと4・5回ほど同じ光景を味わいイエローハウスを過ぎて視界の感覚が変になってて菊谷サンをひきそうになった。菊谷さんスンマセ〜ン***
6番手原田〜さぁぁこれからが本番。ライトをHID仕様に変更〜7番手村井と原田を待つ〜周りは本当に真っ暗闇・・。
予定時間どおり原田が来た。
7番手村井一番長い距離・約6時間の闘い。がんばれ村井。
中盤まで驚くほど順調〜このままゴールまで・・・車で待機していると202xマシントラブルの無線が入り、石井サン・寺戸メカとマシンのもとへ移動〜クラツチ板が滑り出し前に進めないようで直ちに交換作業が始まった。疲れ果てた村井チャンを見た時は「よくここまで来てくれた」という思いで一杯だった。マグ7ではアットホームなオイチャンばっかりで考え事している不安そうな私にずっと笑いかけてくれてとっても助かった。また〜マグ7のお酒が飲みたいな〜
夜が明けてしまった頃、マシン復活〜次のライダーのもとへ走り始めた。
8番手原田へバトンを渡す時、"PM4時までにゴールするとFINISHERバッチを獲得できる"ことを聞かされ次の交替ポイントへサポートカーで移動〜もう100%で走るしかない。必ずゴールする!最後のライダー交替〜石井ボスから肩を叩かれ気合を入れられる。前半は少し慎重になりなが もアクセルは開けていた。コースも変わり果てかなり荒れていたが、最後の12マイル一気に体の神経がぶちきれたような勢い〜全開で走った。そして〜ゴ〜〜〜〜〜ル〜完走!
■村井・原田の顔が見え、ゴールするといつの間にか石井サンを捜してました。石井さんと握手してほっとしたような〜もうやぁぁぁったぁぁぁ
ゴールできたなんともいえないあの時の気持ち、XRお疲れ、よくがんばってくれたね〜本当に何ともいえないものでした。日本からの参戦となるとやはり身構えてしまうのは仕方ないんだろうと思ったのですが、精神的にベストで望めてバハを心底楽しめたのは石井サン引き入るPROTECH SPORTSの皆さんの人柄とすぐ和んでしまうあのチームのカラーのおかげだと思い、ずっと温かく感じてました。本当にあがとうございました。
こんなにも自分のまわりの人達に対して、感謝で一杯になったのは初めてでした。メンバーをまとめようとしている時にアドバイスしてくれた人、バイク製作において手助けしていただいたバイクショップのオーナーや仲間達、資金集めで心強い支えとなったスポンサー及びメーカーの方、私達のチャレンジに対してがんばれと励ましてくれたたくさんのバイク仲間達、あとメンバーのご両親含めて心配しながらも送り出してくれた父と母、それとこのチャレンジを考えた時からずっと気になる存在だった会社に対して、所長並びに休暇中の経理処理をやっていただいた係長、あと職員の皆さん、出発前に壮行会までしていただいて、こういうひとつひとつの励ましがあったからこそゴールできたんだと思っています。本当にありがとうございました。どこまで恩返しできるかわかりませんが、この経験を生かしてまた自分らしくがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。
12/22、Baja忘年会を福岡で予定しています。3人とも酒豪だからけっこうはまって飲むと思うのですが、勢いあまって第二弾バハ参戦決起大会にならなければいいのですが〜〜〜〜〜ヘッヘヘヘヘ。
独り言・・・やっぱり、また走りたい・・・とお・も・い・ま・した。
山下睦美(サボテンシスターズ)
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